「罪刑法定主義」で前へ進もう〜小沢裁判に終止符を打とう
2012年05月01日
検察審査会による強制起訴に基づく裁判は第一審で「無罪」と判決が出た。司法の側でも、「検察審査会」の存在意義を問われかねない判決なので、完全無罪とはせずに、審査会の顔を立てるかのように、個々のプロセスでは事実認定で起訴側の言い分を採用しているが、これでは事態は複雑になるだけの中途半端な判断となった。
「無実」と「無罪」は違うので、小沢判決は「事実はあったが、犯罪にするほどではない」という東京地裁の結論である。しかし。「無罪」とするなら、これで決着してもらいたい。政治は現在、そうした議論にエネルギーを割いているほど暇ではない。提訴して第2審に進むにしても、「無罪」は覆らないのではないか。検察審査会制度の存在価値を何とか残したいという「司法の事情」もあろうが、そもそもマスメディアを挙げての「小沢リンチ」はこれまで実態が明らかになって来たきわめて意図的な「国策捜査」の一つである。将来、歴史の審判に耐えうるものではない。
この裁判で明らかになったのは、検察組織が「狙い撃ち」にした相手には、捜査過程で証拠をねつ造してでも「有罪」にして社会から抹殺するという恐ろしい構図だった。小沢無罪裁判では、むしろそこが知りたい。国会では「小沢証人喚問」などを言う人もいるが、本来は、司法の問題を裁くのは国会の責任なので、「国策捜査」を問題として、検察を承認喚問すべきではないのか。それなら歴史的に意味があるが、そうでないならば、この件は打ち止めにしてもらいたい。