ニッポンの〝美〟を売れ~沸騰する現代アートの裏側

ニッポンの〝美〟を売れ~沸騰する現代アートの裏側

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 90年代の末のことだったか、親しかったオーナー経営者が、晩年、収集していた大量の絵画や美術品をある県の美術館に寄贈した。「せっかく美術館は立派なものを建設したが、財政が厳しくて中に展示する美術品がなかなか充実しない」と、嘆く県知事に、彼が、二つ返事で秘蔵の美術品を提供したのである。一代で財を成した人物は気前が良いな、と感心していたら、「相続争いになったら、こういう美術品は扱いづらいだろうから、生きているうちに行く先を決めておかなければいけないし」とやや言い訳がましく説明したが、半分は本音だったかもしれない。

 当時、彼は、大病を患っていて、自分なりに死期を計算していたのかもしれない。

 後世に残る独創品が誕生するのは、こういう大富豪が活躍している時代である。最近のオークションで話題になる買い手は概ねビジネスで大成功した新興の大富豪である。こうした層がアートの質を高めているのは否めない。「富の集中」とアートの発展は相応関係にあるようだ。

 近代、現代では富豪といえば企業経営者だが、企業がなかった時代はだれだったのか。王侯や貴族がスポンサーの一群であるのは間違いない。古い肖像画、人物画の多くはこれらのスポンサーが画家の生活を支えたものである。

 日本の歴史を振り返ってもその議論は通じる。美術や音楽、芸能などを愛好する時の権力者がアートを支えた。歴史の教科書には画家や芸能の大家の作品や名声が載るが、その背後には、大金を投じてこれを保護育成した権力者の存在がある。権勢が盛んな時期に大スポンサーだった豊臣秀吉などは自分がスポンサーであることを誇示したが、教科書ではコメントされないことも多い、「陰に隠れた権力者」も多数存在する。将軍や大名の中には、アートによって政治をだめにした政治家として評価を下げた者も、これまた多数、存在するが、それは後世の歴史家が、何をもって人物を評価するのか、その価値観の違いによるものだろう。

 ただし、現代においては、「富豪」とは縁遠い一般愛好家も、大スポンサーにはならないまでも、小スポンサーとして役割を果たしつつある。情報化によってアーティストの魅力に触れる機会が急増したので、また、インターネットによって購入する経路も増加したため、多数の小スポンサーが出現してきた。その総投資額は大富豪数十人に匹敵するものとなるだろう。ロングテールも集まれば大ボリュームになる。愛好される画家のジャンルも多様化する。新しい独創的な芸術が生まれる新たな環境が出来つつあるのかもしれない。

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